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プログラム解説

 

ワーグナー主要5作品のエッセンスを凝縮したニューイヤー・グランド・ガラ

(三浦真弓)

 

 本日のニューイヤー・コンサートは、〈ワーグナー・グランド・ガラ〉の名前にふさわしい、贅沢なオール・ワーグナー・プログラムである。第一部は《ニュルンベルクのマイスタージンガー》《タンホイザー》《トリスタンとイゾルデ》、第二部は《ローエングリン》《ワルキューレ》と、ワーグナーの主要な舞台作品の5つから、そのエッセンスといえる序曲・前奏曲、アリア、抜粋場面が選りすぐられている。いずれも、単独で演奏される機会も多い名曲・名場面ぞろいだ。

 

 プログラムの構成・順序にも、効果的な配慮がなされている。長大なワーグナー作品から二、三の重要場面を抽出し、演目ごとにひとまとまりで演奏することによって、5つの作品それぞれがもつ全体的な雰囲気を、色濃く味わえる仕組みになっているのだ。このように凝縮された形でのワーグナー体験は、ワーグナー初心者の方々には最適の入門編といえるだろうし、長年の愛好者の方々にとっては、新年の「ワーグナー初め」として格好のダイジェストとなることだろう。

 

 指揮者のホルヘ・パローディ氏は、北南米・ヨーロッパ・アジア各国の歌劇場や音楽祭に次々と迎えられ、バロックオペラから21世紀の新作まで、幅広いレパートリーの実演経験豊かな実力派だ。世界各地で著名歌手との共演を重ねるかたわら、米国のオペラのメッカ、ニューヨークのジュリアード音楽院でヴォーカルコーチを務めるなど、歌い手の生理に精通した指揮者である。本拠地とする米国には、全米10団体近くのワーグナー・ソサエティが存在し、日本におとらずワーグナー人気は高い。本日の独唱者たちを強力にサポートするマエストロ・パローディの指揮に期待が高まるのはもちろん、ザ・オペラ・バンドとの「ワーグナー序曲・前奏曲集」となるオーケストラ楽曲の充実ぶりも楽しみである。

 

 ワーグナーの雄弁な音楽は、たとえ予備知識なしに聴いても、強烈な印象を残さずにはおかない。だが、神話・伝承や史実を自在に換骨奪胎しつつ、ワーグナー本人が書き上げた台本や、伝統的なオペラ概念に対する挑戦に満ちた革新的な音楽は、その背景や構造を知れば知るほど奥深く、聴く楽しみが増すものだ。まもなく、2019年の幕開けを祝って、輝かしいワーグナーの音楽が、紀尾井ホールに響き渡る——その瞬間を待つあいだ、「予告編」として、本日のプログラムの聴きどころをご紹介しよう。


1:《ニュルンベルクのマイスタージンガー》

 

 初期の習作を除き、ワーグナー唯一の「喜劇」である三幕の楽劇。16世紀のニュルンベルクに実在したマイスタージンガー(親方歌手)、ハンス・ザックスを中心に、町娘エファと若き騎士ヴァルターの恋をめぐるリアルな人間模様を描き、人間の営みの粋としての芸術讃歌を歌い上げる。

 

 

 「第一幕への前奏曲」は、全幕上演すると4時間半を超すこの長大な楽劇の、見事な要約となっている。一見、古典的なソナタ形式をとりながら、円熟期のワーグナーの精妙な作曲技法が盛り込まれ、立体的な奥行きと祝祭的な華やかさを備えた、グランド・ガラのオープニングにふさわしい一曲だ。

 

 ハ長調の全音階進行を基調とする堂々たる「マイスタージンガーの動機」に始まり、「ダヴィテ王の動機」「芸術の動機」でニュルンベルクの誇る文化の伝統が提示されたあと、内面的な「愛の動機」や「苦悩の動機」、おどけた変奏の「哄笑の動機」など、作中のエピソードに対応した人間絵巻がつづく。やがて、これらの動機は一斉に再現され、鮮やかな対位法によって幾重にも同時進行で重ねられていく。最後はまた力強い「マイスタージンガーの動機」に回帰し、輝かしいファンファーレで締めくくられる。

 

 三幕一場、主人公ハンス・ザックスによる哲学的な「迷妄のモノローグ」は、一幕・二幕と混迷を深めてきた物語が、ここから一気に最終局面へと向かう、重要な転換点をなす。前夜、ふとしたことから町じゅうを巻き込んだ乱闘騒ぎを回想しながら、人々の心に巣食う我執や狂気を嘆くザックスが、晴れやかな夏至の日の朝の訪れとともに、芸術家として進むべき道を見出していく、ドラマティックな場面だ。 

 

 展開を追うキーワードは、ザックスの第一声「Wahn(ヴァーン;迷妄)」。モノローグ全体を通して、はじめは苦々しく、あるいは怒気や諦念を帯びてくり返される。それがやがて、彼にとって揺らぐことのない拠りどころ——「ニュルンベルクの町」への愛と、マイスタージンガーとして歌合戦に臨む「聖ヨハネ祭の日」の伝統——を確認する二度のクライマックスを経て、ザックスは、人間の営みと切り離せない「迷妄」をただ否定・排除すべきではないことに気づく。熟練の芸術家として、「迷妄」を自ら引き受け、むしろ創造の媒体として利用することで乗り越えようとする、ハンス・ザックスの懐の深さと志の高さに、ワーグナー自身の芸術的理念が示されている。


2:《タンホイザー》

 

 中世のタンホイザー伝説を題材にし、人間における聖と俗の葛藤を描いた、三幕の「大ロマン的オペラ」。本日のプログラム中、最も初期の作品で、ワーグナーが独自の「楽劇」を完成する以前の、イタリアオペラ的なアリア形式が残されている。

 

 演奏会曲としても非常にポピュラーな「タンホイザー序曲」は、キリスト教的な道徳世界と、異教の女神ヴェーヌスが支配する官能の世界という、二つのコントラストが際立った名曲である。前者では、荘厳な「巡礼の合唱」の音楽や、堕落を悔やむタンホイザーの苦悩を示すチェロの旋律、後者では、快楽への欲求を呼び覚まし、なまめかしく誘惑するヴィオラやヴァイオリンの音色、そしてクライマックスのあからさまに大らかなヴェーヌス讃歌が特徴的だ。いずれも、一方を聴いている間は、もう一方の世界の存在を思い描くのが難しいほど、圧倒的で、しかも完全に拮抗した、強力な二つの世界観が並び立っている。最終的には「巡礼」の音楽が勝り、神の恩寵による救済が与えられることを予告して終わる。

 

 

 二幕の幕開けを飾る「歌の殿堂のアリア」は、愛するタンホイザーが帰ってくると知ったエリーザベトが、再会の期待と喜びを歌う初々しいアリアだ。木管の刻む六連符が、息を弾ませて「歌の殿堂」に駆け込んでくる乙女の胸の高鳴りを表わす。タンホイザーが不在の間、彼女はこの大広間に足を踏み入れることもなくなっていたのだ。中間部の憂いは、タンホイザーが去ったあとのうつろな日々を回想する。彼女にとって、歌の殿堂の喜びは、そこに愛する人の歌が響いてこそ。今日ふたたび気高く誇らしく見える殿堂を、もうすぐ会えるタンホイザーの姿に重ねて、エリーザベトは「Sei mir gegrüsst!(ようこそ!私のあいさつを受けとって!)」と高らかに呼びかける。

 

 

 再会の喜びもつかの間、エリーザベトの希望は打ちくだかれる。「愛の本質」を競う歌合戦で、タンホイザーは官能の喜びを讃え、異教の女神ヴェーヌスのもとで肉欲の快楽に溺れていたことを明かして追放されてしまうのだ。純愛を裏切られたエリーザベトは、誰よりも傷つきながら、なおもタンホイザーへの赦しを求め、彼の魂の救済のために自らの命を捧げることを決意する。

 

 その姿を見ていたタンホイザーの友・ヴォルフラムも、ひそかにエリーザベトに想いを寄せるひとりだった。しかし、我が身を捨ててもタンホイザーへの愛を貫こうとするエリーザベトを止めることはできないと悟り、黙って彼女を見送る。三幕二場でヴォルフラムが歌う「夕星の歌」は、エリーザベトが消えていった夕闇の谷を照らす「宵の明星」に向かって、まもなく天使となるだろう彼女の死出の旅路が、せめて安らかであるようにと祈るアリアである。歌の旋律を引き継ぐ、後奏のチェロまでもが美しい名曲である。

 

 ヴォルフラムが見上げた星は金星、すなわち愛の女神ヴェーヌスが司る星であった。タンホイザーとは違う愛の理想を抱くヴォルフラムは、彼自身のやり方で、愛する人に最後の歌を捧げたのである。


3:《トリスタンとイゾルデ》

 

 トリスタンとイゾルデの悲恋伝説に、ワーグナー本人の道ならぬ恋愛体験が投影された、三幕の「劇進行」。不協和音や半音階進行を駆使した無限旋律のドラマとして、めくるめく官能と果てしない苦悩の圧倒的表現を獲得し、後世に大きな影響を与えた傑作だ。

 

 

 イゾルデは、かつて許嫁の仇と知りつつ命を救ったトリスタンと、内心惹かれ合っていたが、トリスタンの叔父マルケ王に嫁がされると知って逆上する。婚礼に向かう船中で、トリスタンを道連れに死のうと、二人で毒薬を飲む。が、それは、侍女ブランゲーネが思いあまってすり替えた「愛の薬」だった。互いに押し殺してきた恋情が燃え上がり、通じ合った瞬間に二人は引き離され、禁断の愛に苦しみながら生きる運命となる(一幕)。

 

 二幕は、マルケ王妃となったイゾルデが、人目を忍んでトリスタンと密会している夜。待ち焦がれた再会の喜びに没入する二人に、闇の中から呼びかける侍女ブランゲーネの「見張りの歌」が響く。「愛の夢から目を覚まして——気をつけて!もうすぐ夜が明けます」という切実な叫びも、愛の陶酔のただなかにいるトリスタンとイゾルデの耳には、甘美な音楽にしか聞こえないようだ。神秘的なハープに導かれ、絡みつくようなヴァイオリンとともに、夜の底を響きとおるこの歌の旋律とハーモニーは、作品中屈指の美しさである。

 

 「愛の二重唱」は、このブランゲーネの警告で二度中断され、そのたびに二人の満たされない愛はますます募り、永遠の夜としての「愛の死」を望む。そして三度目、まさに愛の法悦の絶頂で、マルケ王が登場し、二人の夜は決定的に断ち切られる。

 

 

 二幕に象徴されるように、《トリスタンとイゾルデ》という作品は、全編を通して、解決しそうで解決しない和声がさらなる解決を求める力によって、最後の一点まで安住しないまま進んでいく。この独特な運動構造を端的に示すのが、「前奏曲と『愛の死』」という演奏会用の抜粋形式だ。作品の最初と最後を大胆につなげて演奏することで、この世では破滅的に求め合うしかないトリスタンとイゾルデの愛が、二人の死によってのみ初めて成就する、という劇的な直線的進行を、きわめて凝縮した形で味わうことができる。

 

 前半の「一幕への前奏曲」冒頭、「憧れの動機」の中に、無限旋律の起点となる、不吉にして神秘的な不協和音「トリスタン和音」が現れる。トリスタンとイゾルデの運命を決定づける「まなざし」や「死」の動機が連なり、弦楽器と木管楽器の波がらせん状に絡み合いながら、「法悦」の極みへと昇りつめていく。トランペットの咆哮を頂点に、今こそ満たされた安らぎへ至るかと思いきや——着地した先はまたも「トリスタン和音」という、どこまでも禁断の愛ゆえの苦悩と喜びのあいだを行き来する音楽なのだ。

 

 後半の「イゾルデの愛の死」は、三幕の最終場、トリスタンの死を目の当たりにしたイゾルデの絶唱である。ワーグナーが「イゾルデの変容」と呼んだこの場面で、イゾルデにはもはや周りの人の言葉が聞こえないかわり、人には見えないものが見えている。形容の限りを尽くして「それ」を描写するイゾルデは、その間に何度も「Seht ihr's nicht?(あなたがたには見えないの?)」といぶかるのだ。愛するトリスタンの魂が昇天していくさま、そして次第にイゾルデ自身を包み込む恍惚——昼の世界では許されなかった愛、しかし彼女にとっては生涯唯一の真実であった、トリスタンとの合一の喜びを語り尽くして、イゾルデはついに、二人が望んだ永遠の夜としての「愛の死」に到達するのである。


4:《ローエングリン》

 

 中世の叙事詩や聖杯伝説の「白鳥の騎士」をモデルにした、三幕の「ロマン的オペラ」。神秘的な存在である主人公ローエングリンは、後世の人々の夢想をかきたてるファンタジーの源泉となり、一方、純粋なだけにあまりに人間的なエルザの悲劇には、心理劇としての興味も尽きない。

 

 

 一幕、弟殺しの罪を着せられた公女エルザは、身の潔白を明かすため、彼女に代わって戦う騎士を指名するよう迫られる。居並ぶ騎士たちをよそに、エルザは、かつて祈りながら眠りに落ちた夢の中で天から降り立った、気高い騎士について語り始める(一幕二場「エルザの夢」)。ハープのアルペジオを合図に、ヴァイオリンが繊細で崇高な旋律を紡ぐ「聖杯の動機」が流れ、エルザは夢で見ただけの騎士の姿を熱をこめて語り、「その騎士の到来を私は待ちたいのです、その方が私の戦士となってくださるでしょう!」とくり返し訴える。エルザは、まだ見ぬその騎士に、我が身を妻として捧げることを誓う。

 

 

 やがて、エルザが夢に見た通りの騎士が現われ、無敵の力で彼女の無実を証明する。彼は、「自分がどこから来たか、なんという名前でどんな素性か」を決して尋ねないことを条件に、エルザと結ばれる。しかし、エルザを陥れようとたくらむ魔女オルトルートは、結婚式の前に、エルザの心にわざと不安をかき立て、素性の知れない騎士への疑念を植えつける(二幕)。

 

 「三幕への前奏曲」は、エルザと騎士の結婚の祝宴音楽である。華やかな金管楽器が大げさなほどの喜びを炸裂させ、せきたてるような弦の動きは、不幸つづきだった公国でお祝い事に飢えていた人々の心を表しているかのようだ。次に、トランペットに先導されて、「婚礼の合唱」が始まる。あまりに有名な「ワーグナーの結婚行進曲」であるが、この後につづく悲劇的な展開を念頭に聴くと、その整ったおごそかさが、壊れ物を扱うようなよそよそしさと感じられなくもない。人々は歌いながら、新郎新婦を初夜の寝室に送って遠ざかっていく。

 

 

 二人きりになると、エルザは幸せすぎるがゆえの恐れから、愛と信頼の証に、夫の本性を知りたいという思いに駆られる。魔女オルトルートの仕込んだ心理作戦が効き目を表し、エルザはついに禁じられた問いを発してしまう。騎士は、絶望的に、二人の幸せが終わったことを告げ、エルザが破った問いへの答えを語り始める(三幕二場「はるか遠い国に」)。かつて「エルザの夢」に現れた「聖杯の動機」の和音を背景に、神秘的な真実を明かしていくこの歌は、「グラール語り」とも呼ばれる通り、騎士が属する聖なる国の象徴である「Glar(グラール;聖杯)」の語がひときわ輝かしく響く。そして最後に、彼は「聖杯の騎士ローエングリン」と名前を明かして去っていく。


5:《ワルキューレ》

 

 ワーグナー畢生の超大作である「ニーベルングの指輪」四部作の第二作目で、実質的な本編の第一日目に当たる、三幕の楽劇である。表題の「ワルキューレ」は、神々の長ヴォータンが知恵の女神エルダに生ませた娘、ブリュンヒルデのこと。ヴォータンの最愛の娘である彼女は、人間の戦いの勝敗を決し、戦死者の中から神々の居城ヴァルハラを守るのにふさわしい勇士を天に運ぶ、9人の女戦士ワルキューレの筆頭格でもある。

 

 

 一方で、ヴォータンは、人間の女にも、双子のジークムント・ジークリンデ兄妹を生ませていた。生き別れになった兄妹は、ジークリンデが望まぬ結婚をさせられたフンディングの家で再会すると、激しく惹かれ合い、夫婦の愛を交わしてしまう(一幕)。

 

 不倫にして近親相姦という二人の関係は、結婚の守護神フリッカの怒りにふれ、ヴォータンは、来たるフンディングとジークムントとの戦いで、ジークムントの方を倒すと約束させられる。父ヴォータンの命令を受けて、ジークムントに死を予告したブリュンヒルデだったが、天上での永遠の栄光よりも、人間としての愛を選ぶというジークムントとジークリンデの強い絆に打たれ、父に背いてでも二人を守ろうと決意する。だが、ブリュンヒルデの裏切りに気づいたヴォータンの到着によって、ジークムントは殺され、ブリュンヒルデはかろうじてジークリンデだけを天馬に乗せて救い出し、父神の怒りから逃れるため、全速力で逃走を開始する(二幕)。

 

 「ワルキューレの騎行~ジークリンデの退場」は、このあと始まる三幕冒頭から、第一場の大部分を占める重要場面である。中心人物に着目すると、大きく三部に分けられる。

 

1)ワルキューレたち

 

 天馬が風を切る音、ひづめのリズムに乗って、勇壮な「ワルキューレの騎行」が始まる。金管楽器のさまざまな組合せで、近く遠く、くり返されるこのテーマには、ワルキューレたちが抜きつ抜かれつ天空を駆けめぐる姿が目に浮かぶようだ。オーケストラのみの前奏につづいて、いよいよ8人のワルキューレが登場する。第一陣の4人に、1人、もう1人と合流し、最後の2人が馬の鼻づらを並べて爆走する光景の描写では、コントラバスとバス・トロンボーンの低音も加わったオーケストラの迫力が凄まじい。

 

 「ワルキューレの騎行」は、合唱パートが登場しない《ワルキューレ》で、唯一、ソプラノ・メゾソプラノ・アルトの女声三声の8人が力強い重唱を聞かせる場面だ。ワルキューレたちが呼びかわす奇怪な叫び声「Hojotoho! Heiaha!(ホヨトホー!ハイアハー!)」は、意味をもたないワーグナーの造語だが、姉妹間の合図や、馬への掛け声、喜びの声として、強く美しい神の娘たちの人間離れした豪快さをよく表している。

 

2)ブリュンヒルデ

 

 不気味に切迫したギャロップで、ジークリンデを連れたブリュンヒルデが到着する。父ヴォータンの命令に逆らい、今は父に追われていると明かすブリュンヒルデに、ワルキューレたちは騒然となる。神々の長ヴォータンにそむくことなど考えられない8姉妹は、ジークリンデと逃げるための馬を貸してほしいと懇願するブリュンヒルデを拒絶する。

 

 神の娘ワルキューレ隊としての立場と使命をつゆ疑わず、一枚岩となって立ちはだかる8人に対して、ひとり、人間の愛の偉大さを知ってしまったブリュンヒルデの孤高な姿が印象的だ。——その時、ジークリンデが初めて口を開く。

 

3)ジークリンデ

 

 愛するジークムントを失って絶望し、後を追って死ぬことを望むジークリンデに、ブリュンヒルデは、彼女が亡きジークムントの子を身ごもっていることを告げる。それを聞いた瞬間、母となる使命に目覚め、生きる気力を取り戻すジークリンデ。絶望のどん底から、この上ない希望への劇的な転回という、最高にドラマチックな場面である。

 

 ブリュンヒルデは、ヴォータンの怒りを一身に受ける覚悟を決め、生まれてくる英雄に「ジークフリート」という名と、父ジークムントの形見である剣の破片を授けて、ジークリンデをひとり逃す。立ち去る間際に、ジークリンデが、英雄を生む運命とブリュンヒルデの愛を讃えて歌い上げる感動的な旋律——「O hehrstes Wunder! Herrliche Maid!(なんて崇高な奇跡!輝かしき乙女!)」は、「愛の救済の動機」と呼ばれ、はるかのちに、ブリュンヒルデがジークフリートの後を追って死んでいく《神々の黄昏》の最終場面で、唯一最後に再現され、壮大な「ニーベルングの指輪」四部作の全体を締めくくることになる。


三浦 真弓:在米翻訳家、オペラ・オペレッタ訳詞家。米国ではクラシック音楽および舞台芸術の英語レビュワー・通訳案内士としても活動する。早稲田大学 第一文学部 哲学専修卒、東京都立大学大学院 人文科学研究科 哲学専攻修士。ボストン・ワーグナー・ソサエティ会員。Twitter: @mayumiura